最終更新日: 2007/09/16 | Edit
先日、一年半ぶりに写真の一大整理をした。私にとって昨年、1998年は、これまでの人生最大の激動の年であり、たくさんの思い出の写真が手元に残った。長野パラリンピックが今からもう一年半も前のことになる、ということが信じられないくらい、98年3月からの一年はパラリンピックに関係する行事へ出席したり、何かと話題になる機会が多かった。
メディアからのインタビューでは、「パラリンピックでメダルをとって、一番よかったことは何ですか?」とたびたび質問された。「え〜、よかったことはいっぱいあるけれど、何が一番か、なんて考えたこともなかった……」、と話をはぐらかしつつ、必死で頭を動かした結論は、「いろいろな人と知り合いになれる機会が増えたこと」であった。いささか平凡かもしれない。でも、たくさんの人と知り合いになって、楽しい話を聞き、おもしろい経験をしたい、と考える私にとって、さまざまな人との出会いはまた、新しい人生の出発点になる可能性をつねに秘めている。そう、私の大切な財産はさまざまなところで出会える「人」だと思う。
スキーは個人競技だけれど、ひとりで練習することがなかなかむずかしい側面を持つ。とくにポールトレーニングをしようとするとき、誰の協力もなしに自分の力だけでやれる人はごくわずかであろう。私もこれまで多くの人の協力を得てトレーニングをしてきたし、それは今後も変わらないと思う。トレーニングだけではない。試合でも徹夜でコース整備をしたり、寒いなか、コースに立ち続けてくれる役員の人たちがいるからこそ、力を発揮できる良いコンディションのバーンができ、試合に集中できる。長野パラリンピックのときは本当にそのことを実感した。
話を冒頭に戻そう。写真を整理しているうちにとくに懐かしい一枚を見つけた。閉会式のおり、全国の人たちが心をこめて作ってくれた折り鶴のレイを首にかけ、なぜか顔には白のペイントがされていて(これがいったいどのタイミングでつけられたものなのか、いまだに不明なのだが、いずれの写真でも私のほっぺたには白いペイントの筆跡があるのだ……)、なかなかハンサムな男性と写っている笑顔の2ショットである。これは、某新聞の記者が後になってから偶然くれたものだったが、写真を撮ってもらったことは覚えていたものの、誰がシャッターを押してくれたのかは覚えておらず、手に入るとは思っていなかったので、もらったときはとても感動した。──などと長々と書くと、誰との2ショットだったのか早く言え、といわれそうだが、彼はフランスチームの視覚障害のある選手のガイド(伴走)で、スタッフとしても活躍する中心メンバーのひとりでもあった。
私が最初に彼と出会ったのは、長野パラリンピックに先立つ秋のシーズン初め、フランス・ティーニュで合宿をしたときである。日本チームは彼にとてもお世話になった。私たちが到着する直前まで、やはりティーニュで合宿をしていたフランスチームに、スタッフとして参加していた彼、ジャン・マリは、チームが帰った後も家族とともに休暇をとってティーニュに残った。私たち日本チームがスムースにトレーニングを行なえるよう、コーディネイターとして残り、10日間ほどの滞在期間中、ほぼ毎日、一緒にゲレンデに向かい、何かと面倒をみてくれたのだ。
彼の親切心に支えられた思い出深いエピソードを紹介したい。この年はティーニュでも雪が少なく、登山列車で一気に標高の高いところまで行き、そこからさらにゴンドラで登ってようやく雪上に立てる、という状況だった。雪は少なかったがおおむね天候には恵まれていた私たちの滞在期問中、風が強くてゴンドラが動かない日が一日だけあった。足場が悪い岩場を、板を担いで少し歩けば運行しているリフトに乗って滑ることができるのだが、チェアスキーに乗ったまま板を担いで行けるような場所ではない。チームスタッフの人数を考えると、とても対応できる状況ではなく、チェアスキーヤーはその日の練習をあきらめざるを得ないか、と思ったそのとき、ジャン・マリが私に声をかけてきた。彼は英語を話さず、私の片言のフランス語は当然のようにほとんど通じない。それでも身振り手振りで、「チェアスキーと板を持ってやるから、歩いて雪のあるところまで行け」と言っていることはわかった。この合宿のトレーニングではでとても良いフィーリングを持てるようになっていたので、少しでも余計に滑って、良いイメージを自分のものにしたかった私にとって、それは願ってもない申し出であった。
振り返ってみればあのとき、ジャン・マリが声をかけてくれなくて、結果的にトレーニングができなかったら、ストレスを溜め込んで、調子を落としていたかもしれない。それくらい私にとっては微妙な時期であった。彼にとってはたいしたことではなかったかもしれないし、もう忘れてしまったかもしれない。しかし私にとっては、大切な想い出であり、人との良き出会いを実感した出来事でもあった。
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